2010年05月28日

廃の魅力を求めて〜土倉鉱山跡を訪ねる。その2

土倉鉱山跡 1005091131_020.JPG

求めている物はその奥にある。。。



その1で見て回った選鉱所遺構は昭和15年に新設された選鉱所。
出口土倉と呼ばれた場所でした。

前述した明治40年に発見された銅鉱脈はこの更に奥にあるのです。
ココより2キロ山へ分け入った奥土倉と呼ばれた場所にあります。
奥土倉には江戸時代中期から土倉村と言う村があり、
炭焼きで生計を営むわずかばかりの人が暮らしていたようです。
明治40年に岐阜県安八郡の人が「杉野川にピカピカと光る石を見つけた」
のがきっかけで土倉鉱山が開発されて鉱山集落化したそう。

その奥土倉が今回目指した場所です。
出口土倉の選鉱場跡は多くのサイトで紹介されていますし、
さっきのようにモデルさんを連れて撮影に来たりする人も多いよう。
役目を終えた場所がひっそりと余生を過ごしている場所を
また此処で引っ張り出してくる事が良いことなのかどうなのか?
巡ってきた後で思うことはありますが、ただ忘れられていくより、
そういう場所があったことを少しの人にでも知ってもらうほうが。

出口土倉の遺構から少し進むと見えてくるのが坑道跡です。

土倉鉱山跡 1005091222_059.JPG 土倉鉱山跡 1005091222_060.JPG

奥から水がとうとうと流れ出てきています。
流れ出た水は手前の側溝から道を横断して流れ出しています。
先へ進みます。

土倉鉱山跡 1005091226_063.JPG 沢沿いに道が続いています。

土倉鉱山跡 1005091230_064.JPG 真っ直ぐ進むと。。。

古い小さな砂防ダムの先で行き止まりになっていました。
奥土倉は何所でしょうか?戻ってみます。

土倉鉱山跡 1005091239_073.JPG 戻る途中で沢の向こうを見ると。

古い石垣の上に道があるようにも見えます。
あちこちに石垣が見え平場もあり、昔はこの辺りにも人が住んでた?

土倉鉱山跡 1005091314_105.JPG コンクリの橋の手前が怪しい。

土倉鉱山跡 1005091314_104.JPG 奥を覗くと道の続きが!

らくだくんを路肩に停め、歩いて行ってみましょう。
橋の手前は道が陥没して道を成していませんが、先には道が。

土倉鉱山跡 1005091243_077.JPG 無理すれば軽自動車でも通れる?

土倉鉱山跡 1005091242_076.JPG 沢の向こうにも石垣が。

ひと昔前には人が住んでいた後があちこちに見受けられます。
確かに此処には人が住んでいました。

土倉鉱山跡 1005091246_080.JPG 土倉鉱山跡 1005091246_081.JPG

古びて錆錆になったフェンスで囲まれた所があります。
中を覗くと水が流れていました。

土倉鉱山跡 1005091247_082.JPG 先にももう一つ同じ様なのが。

更に先に進むと左手にコンクリの遺構が見えてきました。
よく見ると上のほうにシックナーの丸い形が見えます。

土倉鉱山跡 1005091247_084.JPG 此処が更に昔の選鉱場跡なのか?

更に先に進みます。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出てきました。明るくなります。
広場の脇には川が流れ、正面には大きなダムが見えます。
平らに慣らされた土地には、昔に人が生活していた跡が感じられます。

土倉鉱山跡 1005091249_087.JPG 橋の跡でしょうか?

土倉鉱山跡 1005091249_088.JPG 川が暗渠へ流れ込みます。

この暗渠が先ほどのフェンスの下を流れ下流へと続いているようです。

土倉鉱山跡 1005091251_090.JPG 正面にあったダムです。

土倉鉱山跡 1005091252_092.JPG ダムの脇にも橋の跡と道の跡。

突き当りまで来たので来た道を戻ります。
引き返していると、左手にも遺構が見えました。
さっきの遺構の反対側になります。

土倉鉱山跡 1005091301_095.JPG 土倉鉱山跡 1005091302_096.JPG

道から脇へ入って行き、遺構の近くまで行ってみました。
横から上に上がっていけそうなので行ってみます。

土倉鉱山跡 1005091305_101.JPG 病院の薬のビンが落ちてました。

「伊香病院」と書いてあります。
調べてみると現在の長浜市立湖北病院になるようです。
伊香病院は大正4年に創設されたようで、当時はココにもあったのか
それとも麓の木之本にでも通っていたのか、
昔の伊香病院が何所にあったのかは判りません。
この薬のビンをもらった人はどんな病気だったのか、知る由も無く。

でも、しっかりとした壜ですね。今のビニールみたいなのと違います。

遺構を後にし、元来た道を戻らずに、山に沿って歩いてみます。
往時は平らな土地になっていて、工場か人が住む家が建っていたのでしょう。
今はもう山と一体化した山肌を歩き、元来た道に合流します。
大きな岩の後ろから道に戻ると、どうやら下ってきた道は
お墓の跡のようでした。きちんと拝んでお邪魔しましたと(;´∀`)

土倉鉱山跡 1005091322_110.JPG 鉱友顕彰碑と共に。

出口土倉に戻ってきました。
当時はこの山奥の地に従業員500人余りの人達が働いていました。
全国から集まってきた鉱夫達です。そして家族を合わせると
約1500人の人々が暮らす一つの大きなコミュニティーだったのです。

一時代を共に過ごしてきた人達は強い絆で結ばれていて、
今でもこの故郷に集まってくるそうです。
過ぎ去れば古き良き時代、苦しみも喜びも働く人、住む人達で
分かち合い、共に暮らしたその跡が、この土倉の山奥にはありました。


参考文献
e-konの自由帳
よみがえる土倉鉱山の記憶
財団法人 滋賀県文化振興事業団 季刊誌「湖国と文化」



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posted by ハレクラ at 23:59 | 兵庫 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | ツーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
R303旧道が気になっていたので
興味深く読ませてもらいました。

こんなに素晴らしい廃墟が眠っているのですね!
ますます行きたくなりました^^
Posted by いもも at 2010年05月31日 22:36
>いももちゃん

R303旧道も結構な酷道ですよ。
まだその3を公開していませんが、現在通り抜けは出来ません。

今ごろはひたすら走りつづけてるのでしょうか?
Posted by ハレクラ at 2010年06月04日 11:18
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